(私は)集合論で何をしたいのか

えーと、Twitter / t33f: 集合論って結局何がしたいのか根本的なところまで理解できてない ...に後でツッコミを入れると言ったやつなのですが(反応まで4ヶ月は私の場合標準)。よく考えてみると、私の考えが他の集合論者に共有されているわけでもないので、以降は私見ということで*1。あ、以降集合論というのはZFC集合論のことを指します。

集合論の何が嬉しいかというと、以下の二点になると思います(もう一度断っておくと、これは私見です)。

あ、ちなみにパラドックスの回避云々はデマですからね。ZermeloがZFCの原型になる公理系を発表した動機は、彼自身による実数の整列可能性の証明を弁護するため。もちろん集合論を公理化するならばすでに知られているパラドックスは最低限避けなければいけないとは思っていたでしょうけれども、パラドックスが果たした役割はそれ以上ではないでしょう。っていうか、Cantorは現在ではBurali-Fortiのパラドックスと呼ばれているものを背理法に使っていたりしたようで、パラドックスなどとは全然思っていなかったようです。まあ、Cantorにとっては集合論はlaw of thoughtなわけで。

脱線。

嬉しいことの第一点はもうすでに皆さんご存知のことなんですが、問題は第二点の方。こちらが全く知られていないというか宣伝されていないので困ったものなのです。ほとんどの数学が集合論のモデルの中で展開できるなら、集合論で取り扱う対象はほとんどの数学ということになって、じゃあ集合論という独立した分野の存在価値は何?ってことになるわけですよ。

例えば、集合論でとても頻繁に使われるテクニックの一つは、今現在扱っているモデルVの、十分に大きい部分構造をとってくることです。……これでわかるんならこの文章要らないな。えーと、なんか問題を考えているとしましょう。その問題を解くのに必要な情報を全部とってきて、それらを全部含んでいるような、しかし十分に閉じた、集合論のミニチュアモデルが作れるわけです。なんつーか、集合論の証明ってこればっかりです。このミニチュアを作るのに普通は基礎の公理が絡んでくるので、「基礎の公理は不自然不必要」みたいな話はカチンと来るわけですな。あー、ネットで普通に私が交流している皆さんがそういうことを言っていないのは承知していますが、そういうことを言う人が確かに存在しているわけですよ。

脱線。

少なくとも私が知る限り、数学の他の理論は自分自身のミニチュアを作った上で、そのミニチュアと元々の大きなモデルの関係まで一様に理論内で記述できたりしません。だからこそ、他の分野の問題を集合論の中で記述して、集合論的な手法をガシガシ使って解いてみようという発想が出て、少なくともいくつかの分野では成功しているわけですよ。
応用でなく、intrinsicな興味としては、そういうことが可能な集合論のモデルというものの構造をもっとよく知りたいということになるわけです。

あとは相対無矛盾性かなぁ。集合論は連続体問題を大きな課題として発展してきたこともあって、相対無矛盾性に気を使う文化で、要するに自分がどの程度強い仮定を使っているのかがはっきりとわかるようになっています。巨大基数の理論ですね。だから、危ない橋を渡るときにも、それがどの程度危ないのかがわかりながらいけるわけです。

じゃあ、その集合論的な手法ってどんなのよ、っていうことがわかるような記事を書こうと思っているわけですがねえ、ずっと。この更新頻度は何よ。てへ☆ミ

*1:Shelahなんぞは、「ZFCはきちんと伝えることさえ出来れば全ての数学者が共有することの出来る土台である」みたいに言い切ってますが。