2011年05月05日のツイート
@kururu_goedel: @LazyWorkz いや、そうじゃなくて、「童貞」は述語なので、集合を表すには「童貞全体の集合」「非童貞全体の集合」と書くべきだという事です(だからツッコミどころ違う)
@kururu_goedel: 学部の時に、指導教諭にするはずだった方が授業で、直観主義論理とかのことについて触れて、(正確な言い方は忘れましたが)「これらの論理は最近では哲学を脱してきている」みたいなことをおっしゃっていて、そのときは「へー」くらいだったのだけれども、今は意味がよくわかります。
@kururu_goedel: @ikasanma 数学的な論理学は、数理論理学と呼ばれています(ご存知だったらすみません)。数理論理学と旧来からの哲学的な論理学は、相互の乗り入れはあってもずいぶんと趣が異なっていると思います。
@kururu_goedel: つーか、私、数学と哲学両方の研究やってねってポジションに応募してインタビューまで残ったことがあるんですが……。哲学の方は激しく付け焼刃でやっぱりダメだった。
@kururu_goedel: @ikasanma 数学者が哲学をやり、哲学者が数学をやり(こっちのほうが稀かな)、数学者であり哲学者であるような人がいるのは確かです。合同でセミナーをやることもあると思います。でも、設問と手法には大きな違いがあり、ほとんどのケースでは境界ははっきりしていると思います。
@kururu_goedel: @Nathema そして、手法だけではなく、問題の立て方も違うのでやっぱり別物だと思います。まあ、このあたりは何をもって哲学とするかという定義にも関わってきますが。
@kururu_goedel: @Nathema まず、私は趣が違うと思っていません。それは URL を書いたときにも暗に伝えたいと思ったことで、いくつかの違いを除けばやっぱり同じようなことをやっていると思います。
@kururu_goedel: @kaz_math おっしゃるとおり、個人の感想としてはプロアマもレベルも問わずいろいろなものがあってよいし、だからこそ違った見方が数学に導入されて進歩が促されるのだろうと思っています。
@kururu_goedel: @kaz_math ちょっと硬直した言い方になってしまってごめんなさい。私は正解がないとすら断言はしたくないんですよ。数学の哲学の人たちでその辺りを深く掘り下げている人たちがいると知っているので。
@kururu_goedel: 世界はとっても広いから♪夢は大きいほうがいい♪
@kururu_goedel: なんか偉そうに言い過ぎたかもしれない。確実に言えるのは「私は数学は研究しているが、哲学は全くやっていない」ということ。そのギャップを理解していただきたく。
@kururu_goedel: @cosmic_music ああ、それは確かにそうかもしれませんね。私がイメージしていたのよりも線引きは微妙かもしれません。もっとも数学の場合、「両方面白いから両方研究する」で大丈夫というのはありますが。
2011-05-05 14:41:57 via TweetDeck to @cosmic_music
@kururu_goedel: 未だに「選択公理を採用すべきかどうかには議論がある」とかいう文をネットでよくみかけるのだけれども、私のしるかぎりそんなことを言っている集合論者なんていません。
@kururu_goedel: いずれにしても、選択公理と決定性の公理は互いに矛盾しているけれども、それらを結び付けるような研究が数多くあって、要するに選択公理は「絶対に採用されなければならない」「採用されるべきではない」という立場は両方不毛であるってことです。
@kururu_goedel: 逆に、選択公理が成り立つ強いモデルの内部モデルとして、決定性の公理を満たすものがあるものがあることがあり、この内部モデルと外側のモデルとの兼ね合いも深い、らしいけどよくは知らない。
@kururu_goedel: さらに言うと、決定性の公理(選択公理とは矛盾する)のモデルから、とても強い性質をもつ選択公理が成り立つモデルを作る、例えばP_max 強制法などというテクニックもある。ちょっと前、私が追っかけていた問題を同僚がP_maxで解いて、面白いなあと思ったものです。
@kururu_goedel: 例えば、選択公理は「採用されるべきか」なんてことは最近は考えずに、「仮定したらどうなる、仮定しなかったらどうなる」を研究することが多くなっている。
@kururu_goedel: いや、ほぼ無視されているは言い過ぎかも。まあ、数学的興味の方が優先はしていると思います
@kururu_goedel: @cosmic_music ただし、ウディンやハーベイ・フリードマンのようの人たちは、哲学的な視点からの考察で、数学での方向性を決めようとするときがあるので、まあ一概には言えません。ただ、数学的部分と哲学的部分の違いは結構はっきりしていると思います
2011-05-05 14:05:53 via TweetDeck to @cosmic_music
@kururu_goedel: @cosmic_music それはそうなのですが、そこでどちらが「真」か、よりも内的な面白さや美しさを見るのが数学的視点で、ここ100年位は全体の流れとして、そちらの方に(良くもあしくも)進んで来ていると思います。
2011-05-05 14:02:01 via TweetDeck to @cosmic_music
@kururu_goedel: @kaz_math わかりません。感覚としてはそれぞれの概念や定理や議論に対して、発明と感じたり発見と感じたりしますが、それは私的な感想ですし、気分により変わります。それこそ数学の哲学の方の仕事です。
2011-05-05 13:55:55 via TweetDeck to @kaz_math
@kururu_goedel: @ainsophyao なんか数回リプライを飛ばしたけれども返事が来ないので、議論は好きではないのかもしれません。まあ、なんか起きたら適宜に逃げます。
2011-05-05 13:52:22 via TweetDeck to @ainsophyao
@kururu_goedel: あー、なんか他にも言わないといけないことがありそうな気がするけど思い付かない。
@kururu_goedel: その上でも、私見では公理的集合論は哲学からより距離をおいている方に思える
@kururu_goedel: 公理的集合論を含む数理論理学は哲学的な考察から離れる形で発達してきた。今ではどの分野も特別に哲学に興味をもちそれに関連付けようとする研究者を除けば、哲学との関連はほぼ無視されている。
@kururu_goedel: 数学の哲学は、哲学であって数学ではないです。哲学から数学へのインプットがあることもあるのは認めるにしても、方法論が全く異なる。
@kururu_goedel: @matcha_math それはなにより。こちらの杞憂ならそれでよかったです。
2011-05-05 13:17:33 via TweetDeck to @matcha_math
@kururu_goedel: 数学は大学で哲学になる、なんてのは大学生の素朴な感想としてはあり得ても、知識を持った人ならそんなふうには絶対に思えないと思う。異論がある方は是非。
@kururu_goedel: 私にはとても重要なポイントをついていると思われる@shinjike さんの URL みたいなツイートが見逃されているように思えるのも腹立たしいので。
@kururu_goedel: とかいっていないで、エアリプライしておく
@kururu_goedel: TLにRTが流れてきたり、高校生らしき人がフォローしたりしているのをみると、なにか意味のあることを言っていると思われているのではない かと危惧する
@kururu_goedel: なんか公理的集合論がどうのとかtweetしまくっている人が全くもって意味不明だっていうことははっきり言っておいた方がいいのかなあ。