2012年06月26日のツイート
@kururu_goedel: @kamo_hiroyasu 不明確さや紛らわしさを避けるって基準ならよくわかるんですけれどもね。
@kururu_goedel: @orange5109 むしろその言葉がどういう感覚から出てきているのかをわかりたいところです。
2012-06-26 12:37:26 via TweetDeck to @orange5109
@kururu_goedel: @tenapi なんだか「無生物に対して『あげる』なんていうのは間違っている!!」っていう人がけっこういるようなので、それがその表現を使う人にとって自然な感覚を奪うことにならなければいいなぁと思った次第です。
2012-06-26 12:32:35 via TweetDeck to @tenapi
@kururu_goedel: でも、@tenapi 先生の学生が言ったという「証明していく」は私にもニュアンスが不明で気持ち悪いのではありますが。
@kururu_goedel: 元の文章を読んでいないので、それを批判するつもりも権利もないんですが、私は「微分してあげる」が本人の感覚を反映している言葉なら尊重してあげた方がよいのではないかと思うわけです。
@kururu_goedel: それとか、集合論では無限ゲームをよく使うのだけど、実は無限ゲームそのものは集合論の中では形式化できない。形式化できるのは、必勝法の有無だけで、そこに結び付けるための直感的表現としてゲームの言葉を使う。これも、やっぱりダメなのだろうか。
@kururu_goedel: 集合論では、"the model M thinks blah-blah"とか"M computes blah correctly"とかいう、モデルを擬人的に扱う表現が普通に使われるのだけど、そういうのもやっぱり嫌がる人は嫌がるのだろうか。
@kururu_goedel: あんまりこういうことを言っていると、言葉にきびしい某先生にそのうち思いっきり叩かれそうではありますが。
@kururu_goedel: 真面目にもうひとつだけいうと、人間の頭という潜在的には恐ろしくパワフルなのに、ドジだったり挙動がへんだったりするもので理解するというところに数学の本質があると思うので「微分してあげる」という表現がよりしっくりきて頭が回るならそれを使わない手はないと思う。
@kururu_goedel: URL なんかこの「微分してあげる」のツイートが150fav越えていてびっくり。