「技芸」に関してとんでもない誤解をされている…

はてなブックマーク - 大学に行く意義 - くるるの数学ノート

2008年09月25日 natu3kan natu3kan そうか、その業界(ギルド)のヒエラルキーを学ぶために大学に行くのか。横暴な教授に耐えて自分の研究成果を発表する方法とか。大学行かないとギルド入るのも一苦労だしな。

どこをどう読んだらそういうふうに解釈できるのか全くわかりません。「ですね、わかります。」メソッドっぽいです。横暴な教授とかギルドのヒエラルキーとか、そういうものが幅を利かせている分野もあるかと思いますが、少なくとも私の近辺ではそういうことはほとんどありませんし、私はそんなものを匂わせるようなことすら書いていないと思います。ギルドがないとは言いませんが、それなりの定理を証明しさえすれば認められないことはないと思います(もちろん、その結果はより細かくチェックされるでしょうが)。
私がイメージしている「技芸」は、以下のようなものです。

  1. 院生時代、毎週師匠に会って研究のことを話し合っていたのですが、彼はかなりの確率で一週間後に私が詰まるところを予測していました。いろいろ考えて「こういうところで困っているのですが」というと、それに対するヒントをくれた後で「このことは一週間前に言ってあるんだけどね」とか言うのです。思い出してみると確かに同じようなことを言っているわけですよ。そのときにはどう関係があるのかさっぱりわからなくて結局無視していたことが出てくるわけです。*1
  2. そのことをとあるWoodinの弟子に言ったら、「Hughには『これは一年前に言ってあるよ』と指摘される」と言ってました。
  3. 新しい証明を発表するようなセミナーでも師匠は定義やかなり早い段階の補題を見た時点で証明の間違いを発見していました。発表者が特に証明の方針などを明らかにしていなくてもです。「この定義だと、後でまずいことになるんじゃない?」「いえ、大丈夫です」「でも、これをやろうとしたときに……、まあ先に進んで」とかいう会話があって、20分後ぐらいにやっぱりその点が問題になって証明が致命的に間違っていることが発見されたり。
  4. エルデシュを直接知っていた人から聞いた話なのですが、彼は世界中のハンガリー出身の数学者に会いに行って研究の話を聞いていたのだそうです。どんな分野の人であるかを問わず。そしてほとんどの場合には「うん。全然わからなかった。でも、この前会った○○君がしていた話と関連がありそうな気がするから連絡を取ってみたらどうか?」というように言っていたそうです。そして、それが実際に研究に役立つことが多かったそうです。

こういう「まだよくわかっていないことを見通せる力」、もっと標語的に言うと「わからないことをわかる力」を、それなりにでも活躍している研究者は持っているはずで、その秘訣が何なのかを弟子たるものは必死で探らないともったいないと思うわけですよ。解けていない問題を解けないと数学者とはいえないわけですから。こういうものは明文化されないもしくはできにくい面が強く、やはり師弟関係のなかで培われる部分が大きいと思います。
もっとも、どんな仕事でだって明文化しにくいコツみたいのはあると思いますし、単に数学も例外でないというだけなのですが。数学自体は論理的であっても、それを解明し理解するほうの人間は論理的でない部分も多々あるわけですから。

まあ、どう書こうが研究者の世界がギルドだヒエラルキーだ人脈だだけで動いているのだと信じている人には通じないかとも思うのですが一応。

*1:こういうと私が真性の馬鹿みたいですが(爆)、一応Ph.D.もとって今のところ生き抜けている程度ではあります。