Paul Hindemith

目を瞑ったまま心のキャッチボールをしようとする人達 - シロクマの屑籠を読んで「くりりんのことかーっ」が発症してしまい、はてなブックマーク - kururu_goedelのブックマーク - 2009年10月3日なんてはてブしたりしていたわけですが。
目を瞑るという能動的な表現がどうにも許せないんです。許せないは強すぎる表現ですね。とにかく引っかかっています。空気が読めない、人の心を読めない、気が利かないとかっていうのは、じゃあ読もうか利かそうかと思ってできるわけでもなくて、訓練が必要なことなわけですよ。それなのに、一生懸命相手のためを考えて搾り出した結論ですら、「自分のことしか考えてない独りよがりのわがまま」とか言われるわけですよ。そういうのを強烈な訓練とエミュレーションで乗り切っている人もいるみたいですが、私には無理っぽいです。

まあ、それはいいや。世の中そんなもんでしょう。生きていてすみません。

そんなときにPaul Hindemithを聴くとね、「感情とか共感とかなくていいんじゃないかな。音楽には音楽の内在的なロジックがあって、芸術における感動って言うのはそこからこそ生まれるものなんだよ」と言われているような気がして、とても穏やかになります。まあ、彼の音楽はもう価値を失っているという意見はわからなくはないのだけれども、私のような人間にとって彼の音楽がもたらすやすらぎというのはかけがえのないものであって。そういうことを言いたくなったというか、ずっと言いたくはあったんだけれども改めて書いてみるだけの動機付けになったというか。暇になったらもう一回ピアノソナタ第2番弾いてみたいです。