正則性公理

というわけで、アルファブロガーになれるかどうかはとにかく正則性公理。

型付ラムダ計算 - 白のカピバラの逆極限 S.144-3

それと型がつけられるかということがどうも正則性公理と関わっている気がして、この公理ってないほうが楽しくないかな。

haskellもプログラミングにおける型理論もわかりませんが、正則性公理が型に通じているというのは多分鋭い考察です。ゲーデルがLの構成について講義したときに、まず最初に\mathbb{R}から始めるバージョンをやったらしいです。そうすると、ラッセルの型理論に近い形で広がっていきます。事実、ゲーデルはLの構成をラッセルの理論の拡張だと思っていたようです。これは、このあたりの歴史の本を見ると出ています(=ソース探すの面倒だから各自でお願い)。
もっとも、ZFCの発想自体がラッセルの型理論とは全く相容れないような気もするんですが。ま、ともかく。

むしろ言及したいのは「この公理ってないほうが」の部分でありまして。正則性公理がある意味adhocな公理であることは間違いないです。そして、そのことを攻撃するのは論理的には全く正しいし、ない方が楽しいかもねと言われればおき得ることの範囲が広がるんだから確かにそうかもしれないとしか言いようがありません。

ですが、正則性公理が現代集合論ではとても強力に使われていることだけは主張しておいたほうが良いかと思います。
正則性公理を仮定しない場合には、rankを持たない集合が出てきてしまいます。つまり、rankを用いて超限帰納法を適用することによって全ての集合について何かを証明することができなくなってしまいます。ってことは、例えば強制法とか超べきなんかですら既にいろいろ面倒ですね。
また、集合論ではよくV(集合全体のクラス)に似た構造を持った集合をとってくるのですが、これも正則性公理を使ってやる場合が多いです。例えば、V_\kappa(rankが\kappaより小さい集合全体の集合)とかをとります。そして、そのサイズの小さい初等部分モデルをとるのが定石です。このテクニックはおそらく現代集合論で最も重要なものであって、それ抜きでは集合論の議論は全く違ったものになっているでしょう。これに似た話を正則性公理抜きでやる方法が今のところ私には思いつきません。

ってわけで、私は正則性公理があって欲しいなと。もちろん、正則性公理のあるZFC上でエミュレーションしてやるって手はあるかと思うんですが、それはid:nucさんの意図には反しているのではないかと想像します。