選択公理に関して

この前の記事に対して選択公理が黒魔術っぽいなんてコメントがついていたのですが。どうもこのあたりに関して一般の人の認識と私たちの認識がずれているような気がします。
選択公理が「正しいか正しくないか」「採用するべきかしないべきか」という方向で議論することは現在では圧倒的に少なくなりました。少なくとも集合論者の間では。ZFの整合性からZFC(ZF+選択公理)の整合性が出る、というのも理由の一つではありますが、もっと大きいのは選択公理が(哲学的というよりは)数学的に扱われるようになったことでしょう。このあたりの経緯はMooreの選択公理に関する本によく書かれています。
Woodinなど選択公理の成り立たないモデルをよく使う人たちは、決して選択公理が「正しくない」と思っているわけではなく、単に決定性の公理(AD)などがよりよい仮定になる場合があるから使っているわけです。そして、ZFCのモデルとZF+ADのモデルの関連を最大限に利用して、集合論の可能性を追求しているわけですね。今、もろもろの事情でWoodinの結果を勉強しているのでそのことをとても強く感じます。
いろいろな考え方はあると思いますが、数学的対象について正当性云々を言うよりは数学的により深く理解しようとする方が数学者らしいやり方なのではないかと私は考えているのですが。