数学のたのしみ

えーと。発行が去年の11月で既に日本評論社のページを見ると在庫僅少とか言われちゃうんですが。

数学のたのしみ〈2006秋〉フォーラム 現代数学のひろがり ゲーデルと現代ロジック

数学のたのしみ〈2006秋〉フォーラム 現代数学のひろがり ゲーデルと現代ロジック

渕野先生の記事は草稿を読ませていただいたのですが、とても良い文章だと思いますので興味のある方は是非。…既に興味ある人は読んでいる+在庫僅少ですが(爆)。
一つ気になったのが、こんな記述があったこと。

筆者の解釈が間違っていなければ,新井は[3] や彼の最近の講演などで,現在の証明論の研究と数学の基礎付けとの関連を不要に強調すべきでない,というようにとれる発言をしている.これは,現代の証明論が,数学の基礎付けとの関連をはなれても十分に存在意義を持ちうる独立した数学理論としての発展をとげていること,また,その結果として,基礎付けとの関連を強く意識することが,必ずしもここで研究を推し進めるための建設的な心理的支援とならないこと,などがその発言の背景にあるのではないかと思う.

この後に渕野先生の意見として、「でもやはり基礎付けとしてみてもいいんじゃないの」という話が続くのですが。[3]は"Hilbert の第2 問題に関する証明論の展開,数学,Vol.57, (2005),113–126"です。
実際問題として、少なくとも20世紀の数理論理学周りの研究は、「あんまり基礎付けとか正当性とか考えずに数学としてやっちゃいますぅ〜」という態度での取り組まれ始めると進むという傾向があったと思います。新井先生の発言は、基礎付けとの関連を強調されることによって数学的創造性が抑えられてしまうことを危惧してのものなのかなと。

このあたりがid:yoriyukiさんの言う「数学者は哲学を軽視しすぎ」とかの問題意識につながっているのかもと思ったり。