翻訳について

渕野先生がとある本の翻訳の難点を指摘しているバルセロナ日記 - G の伝記の翻訳 [K] についてについて書こうと思ってからずいぶんたちます。まあいつものことですが。両方ちゃんと本を読んで書くのが礼儀なのですが、それをやろうとするといつになるかわからないのでとりあえず。
詳細はリンクされているpdfファイルを見ていただくとして。確かにちょっとこれはまずいんじゃないのという箇所がありますね。例えばBurali-FortiがZermeloの前に集合論の公理化をやっているなんて記述は、歴史認識を決定的に変えかねません。また、urelementに複数の訳語が当てられているなどというのは、数学的な本の翻訳としてはやってはいけないことだろうと思います。
とはいえ、"recast"は私も「捉えなおす」と訳してしまいそうなので、自戒せねばとも思いましたが。っていうか、日本語で数学のことを書くのは難しいです。例のsurveyで初めて日本語でプロフェッショナルな文章を書いていて、痛烈に感じます。

それ以上に印象的なのは、原文があまりに素直でシンプルで正確に書かれていて、日本語の方が構造的に複雑で理解しにくかったりしていることです。一般的には未だに私は英語を読むのがとても遅いのですが。むしろ原著を読んだ方が、数学的な事柄を英語で書く勉強にもなりそうな気が。まあ、英語の原著からしてひどい本もあるようですし、一般化は出来ませんが。

何度も話題に出しているMooreの選択公理についての本ですが、これを読んでおくといろいろとだまされにくくなると思います。ここで話題になっている本でも強く参照されているようですし。

えーと。結論としては本を読まずに適当なことを書くのはやめましょうということで。