かがみさんのところについたコメントに関して

かがみさんの「トンデモさわぎ」と言う記事についたコメントより。

それにしても、くるる氏が数学の真偽の決定可能性について確信してるような口振りで熱く語るのを見てると
「実は、この人、ヤバイんじゃね?数学のやりすぎ?」
とちょっと思ってしまったわけだが。

それは誤解です。あー、自分自身で「私はやばくないです」と言っても説得力がないのですが、そこではなくて。数学における命題の真偽の決定可能性について確信していたのはゲーデルであって私ではありません。単に、ゲーデルの名前で彼の考えと全く異なる考え方を主張する人が嫌なだけで。
私自身は、まあ私の研究を知っている人ならばわかるとおり、強制法とかで微妙すぎるモデルを作るのを得意としていますので、唯一のユニバースなんてものは主張しませんし信じてもいません。もう胸を張って開き直って、「pathological set-theoretic topologistですがなにか?」っていえるレベル。どちらかというと、独立な命題を選り分けていったときに残る、ZFCから証明可能なしかし自明でない命題と言うのはどういうものかに興味があります。もちろん代表例は{\aleph_\omega}^{\aleph_0}\lt\text{max}((2^{\aleph_0})^+, \aleph_{\omega_4})とL-空間の存在ですな。今のところは、選り分ける方専門で、ZFCから証明可能な命題の方では結果がないんですけどね。でもまあ、Justin Mooreとかにそれなりに有意義な情報を提供しているから、間接的には貢献している、かな?
あ、それと「数学のやりすぎ」はないです……。授業の準備その他の雑用に追われてむしろやらなすぎです。とか言っている間にまた雑用増えているし。なんとかしてください。

というわけで、かがみさん。あまり気にしていませんので、ご心配なきよう。