ひどい言われようですが


◆ 弥次郎兵衛 (2006-11-22 16:10)

「数学的思考法」ですが、間違い方まで含めて「数学屋的思考法」だと思います。
数学屋は前提から結論を導いたり都合良く前提を設定したりする訓練しか受けておらず、
「事実はどうであるか」を注意深く考える機会がほとんどありません。
経済成長の例でいうと、理工系の人には「指数的に増大する関数は悪である」という本能があるため、
経済もロジスティック曲線か何かに従って成長するに違いないと思い込んでしまうのです。
時定数が人の一生のオーダーであることを指摘するまで納得することはありません。
かくして、間違いだらけの「論理的説明」本が出来上がるわけです。
逆にいえば、事実誤認その他は数学的能力を疑う理由にはなりません。
極端な話、セオドア・カジンスキーでも数学屋は立派に務まっていたのですから。

数学者が受けなければいけない訓練は数学者になるための訓練なわけで、それで数学以外の能力が伸びることは期待してはいけないと思います。当然ながら。確かに、実務的能力が皆無だけれども数学的には優秀な数学者というのはたくさんいます。とはいえ、全ての人がそうだというわけではないと思いますが…。
まあ、問題はあたかも専門外のことに対して専門家よりも正しい意見が述べられるかのように振舞うことではないかと。それはどんな立場の人間であれ慎むべきではないかなと思います。
どうでもいいのですが、「指数的に増大する関数は悪である」という感性は私には全くありません。…っていうか、計算量とか考えれば指数関数的現象は恐ろしくありふれているような。

ついでに同じところのコメント欄より。


1)純粋に論理的説明ができる範囲は、実社会よりも狭い(ゲーデル不完全性定理
こういう文脈でゲーデル不完全性定理を出すのはやめた方がよいのではないかと思います。どう考えても実社会が純粋に論理的に説明できない第一の理由は、公理化が不可能なことでしょう。公理化できた上でそこから決定できない命題がある、なんていうことは少なくとも現在の社会学の研究よりもはるか先の話だと思います。