『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』のこと、または崖はなんのためにあるのだろう(ネタばれなし版)
書き忘れましたが、私が読んだのは献本していただいたものです。山形浩生はどこかで、献本されたものは自分で買いなおしてそれでも割高感がなかったもの以外は書評しないと書いていて、それは一理あるので今回は「書評」ではないと明記しようと思っていたはずなのですが忘れました。というわけで、その点をご了承ください。
えーと、もう少し待とうかと思っていたんですけど、まあ書いちゃいます。
数学ガール ゲーデルの不完全性定理 (数学ガールシリーズ 3)
- 作者: 結城浩
- 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
- 発売日: 2009/10/27
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 37人 クリック: 930回
- この商品を含むブログ (156件) を見る
初めに(誤解を避けるために)
思っていたことをつらつら書いていたら、なんだかとんでもなく誤解を招きそうな文章になりそうだったので*1、重要な点をいくつか
レビュー開始前
えーと、もう皆さんそう思っているのでしょうけれども、レビューやりました。謝辞に名前が載っていないのは、私の方から結城さんにお願いしたからです。なぜかって?もし万が一トンデモ本が出来上がっちゃったときになんかすごい気まずいじゃないですか?正直、不完全性定理は苦手でいろいろしゃべっていると何がしか間違えちゃうので、大穴見逃しちゃうんじゃないかと不安で……。とか思っていたら、大先輩*2が名前出してレビューしているじゃないですか!それなら大丈夫、何かあったらそっちに振ってしまえばうわー何をするごめんなさいそんなつもりではああ。
冗談はさておき(そう、冗談ですので本気にとらないでください)。ゲーデルの不完全性定理について書こうと思っているという話は、レビュー依頼よりも前の段階で結城さんからメールで知らせてもらったのですが。そのときに考えたことはただ一つ。「なんと言えばやめてもらえるだろう」だけです(爆)。そりゃあそうでしょう。いくら結城さんがすばらしい文筆家でありかつ不思議なくらい物事をごまかさずに書く人であると言っても、ゲーデルの不完全性定理のトンデモ輩出力は強力です。そろそろ『数学ガール/フェルマーの最終定理』について一言言っておくか - くるるの数学ノートで『数学ガール/フェルマーの最終定理』をものすごい勢いで褒めちぎってしまった以上、その続編がトンデモ不完全性定理本になっちゃったとしたら、帰国した瞬間に日本の数理論理学者たちからの刺客に殺されてしまうに違いありません。というわけで、礼儀に反しない範囲で必死になって「そんな本を書くのは危険だから絶対にやめなさい!!」と匂わせたのですが、全く効き目がなかったようでプロジェクトはそのまま続行したようでした。今、この本を楽しんでいる人たちにとっては実に幸運なことに。
そうこうしているうちに、レビューのお誘いが来て、「どうせ出版されちゃうなら、変なものにならないように協力するしかないな」と思って、(少なくとも書籍の中には)名前は出さないでくださいねという条件の下でやることにしたわけですよ。
それをブログに書いちゃったら意味ないんじゃないの、っていう意見はあるかと思いますが、私にとっては本の中で名前が出ているのとブログに書いているのとではずいぶん気持ちが違いますので。いずれにしても、危惧したような数学的間違いはほとんどないようなのでほっとしているところです。
数学的な内容の間違い
上で書いている間違いと言うのは、p.326にある原始再帰的関数の定義の中に「射影関数は原始再帰的関数である」が入っていないことです(結城さんには連絡済)。脚注にあるとおり、ゲーデルの論文には出てきていないようですが、それは単純に間違いで少なくともここにある定義のままでは*3、射影関数抜きでは10.7.2にある諸定理も成り立たず、その後の議論も崩れてしまうはずです。多分、加算すら原始再帰的にならないのでは?
もちろん脚注にあるのだから良いではないかとも言えるかもしれませんが、それはつまりミルカさんが間違った議論をみんなにプレゼンしたということになるわけで、妙な感じがします。
もっとも、この程度の間違いしか見つかっていないと言うことは、一般向けの不完全性定理の解説としてはこの本がとても正確であるということを示していると思います。
ネタばれ抜きの紹介
すごい本ですよ、やっぱり。こういうストーリーの入った数学読み物と言うのは、ほとんどの場合数学的内容とストーリーのどちらかが主であり従でありになってしまうと思うんですよ。でもここにあるのは、本物の数学と本物の青春小説であって、片方がもう片方のためだけに存在しているわけじゃないんですよ。それにもかかわらず、両者はとても密接に関係しています。しかも、「各章で数学的イメージに関係したお話があって数学部分を補強している」という形ではなくて、章をまたがってイメージが継承されていたりとか、数学の概念が登場人物の心情を示唆していたりとか、ありとあらゆる趣向が凝らされています。それを全部読み取らなければいけない、っていうのではないのですよ。そうではなくて、読んでいるうちに数学的概念と物語の状況が一体となって頭の中に残っていくように工夫されているんですね。私は読書量が多いほうではないのでわかりませんが、こんなことをやり遂げている本は本当に数少ないのではないかと思います。
ただし、どういう人にお勧めかと聞かれても全くイメージできないです。「不完全性定理と言うのが何か知りたいけれども、普通の教科書は難しすぎてわからない」という人には超お勧めですが、それ以外のどういう人がターゲットであると言うべきなのかさっぱりわかりません。もっとも、どうも評判を見ている限りは全てのターゲットを巻き込んで愛されているという感じなので、私が困る必要もないわけなのですが。
あ、いつぞやコメントで聞かれた質問ですが、不完全性定理の証明に興味があるならば、やっぱり数理論理学のちゃんとした教科書をきちんと最初から読むべきだろうと思います。次の部分で書くような(ほとんど避けがたい)難点があるからです。ただし、ちゃんとした教科書を読むのはきつい、時間的に無理と言うならば、この本はとてもよいsecond choiceだろうと思います。教科書そのものでないということさえ頭の片隅に置いておけるならば。
欠点と言える部分
この本では、モデルの話が全然ないんですよね。だから、完全性定理の話も一切出てきません。不完全性定理と完全性定理の関係はとても誤解されることが多いのでここはとても残念です。ただし、モデルのことをちゃんとやろうとすると、無味乾燥な定義がかなり続くことになるので難しいですし、最初から諦めて何も書かなかったと言うのは英断かもしれません。
もっともそのおかげで、ω無矛盾の説明は、「これで理解できた人がいたら驚愕」というレベルのものになってしまっています。あれ以上に紙幅を割くわけにはいかなかったのだろうなぁと思いますが。
それと、不完全性定理の証明はPrincipia Mathematicaの体系(PM)に関するもので解説しているので、現在標準的な見方とはかなり異なります。標準的というと怒られますかね、一階述語論理で語られる不完全性定理とは。PMは高階なオブジェクトを認めるものなので、例えばPresburger算術(加算のみがある自然数論)には不完全性定理が適用できないなどという事実を理解する手助けにはならないでしょう。PM上では加算や乗算は(多分)定義可能なので。また、イコールの定義もこのようなものが使われるのは現在では稀です。まあ、そういうことを把握していてあえてゲーデルの原論文をベースにした結城さんの意図はわかるのですが、残念は残念ですよね。
もっとも、私の要望を全て聞き入れていたら普通の教科書になってしまうので(爆)、そういう残念な部分があったとしても全体として美しくわかりやすくしかもあそこまで多くをカバーしたことの方がすごいと言うべきだろうと思います。。
ネタばれ版?
ネタばれ版はまた一週間後くらいに。ってそれ新年じゃん!