大学に行く意義

最上の日々 - 8月17日
まあ、ほとんどの人は大学を「○○大卒」というラベルを取るためとか、人脈を作るためとか、それなりに社会的に認められた立場で自由に過ごすためとかに使っているわけでしょうが、それはここでは無視しておきます。

なぜ人は大学に行くのだろう。結構不思議だ。大学で学べる程度の知識であればほとんど本を読めば足りるのだから。
(中略)
だとすると残る意義は、質問できることだが日本人はあまり質問しない。あとは本より生身の人間は注意を引きつける力がつよいこと、同じ事を学んでいる友達がいること自体が学習を促進させること、友達と議論できることくらいだろうか。

ものすごくmisleadingな文章だと思います。そりゃ知識なんてのは本でなんとかなるんですよ。もしなんらかの専門分野で活躍し続けていきたいなら、大学を出た後も勉強はし続けていかないといけないわけですし。でも、それだけじゃだめなんですよ。どうでもいい補足 - くるるの数学ノートで触れましたが、id:finalventさんが書いていたこれ (ご本人がつけたタイトルじゃないんだろうけど - finalventの日記)。

専門家というのは、知識(science)に加えて、技芸(art)が必要で、このartというのは、徒弟訓練というかそういうもので身につく。

この技芸の部分は、本に書くのはほとんど不可能でしょう。この部分を指して、最上さんは「質問をしないのなら」という但し書きをしたのかもしれませんが、技芸を身につける場面はそこだけではないはずです(重要な場面であるのは認めるにしても)。授業中に詰まって考えているときの筋とか、授業内容とはあまり関係ないところに脱線してぶつぶついっているときとか、(他の人のでも)質問を拡大解釈して高度なことを喋っているときとか、そういうときに何をどう言っているかを真剣に追うべきなんです。そこにこそ、研究者として少なくとも大学で教鞭を振るえる程度には成功してきた人が持っている最大の宝物が眠っているんです。誰にもわかっていないものをわかるためのノウハウが。
そういうことを自分が学生だった頃にわかっていなかったせいでどれだけ損をしていたかと常々後悔しているだけに、あの頃の私のような人間を増やしてしまうような文章はとても問題だと思います。
いずれにしても、今私がなんとか数学を仕事に出来ているのは、指導教諭の技芸をなんだかんだで受け継げたからだと思っています。それだけに、もっと積極的にこの部分を学んでいたらといまさらながらに思うわけです。

まあ、元の文章の意味は、そういう努力を全くしない人たちに向けてということなのでしょうけれども。